とある旅の終わり
先ほど、とある本を読み、わび・さびのルーツに触れたら、なぜ私は昔から広重のような夕暮れにモノノアハレな感覚を感じていたのか、苔蒸す自然に愛着がわくのか、気づいた。
「こころの遺伝子」がまたひとつ紐解け、嗚呼と繋がる感覚と言えばいいのか。
見渡せば花も紅葉もなかりけり
浦のとまやの秋の夕暮れ
藤原定家
花をのみ待つらん人に山里の
雪間の草の春を見せばや
藤原家隆
誰が教えてくれたのだろうか・・・。
思い起こせば、夕暮れが美しいと言っていたのも、山里の草花を教えてくれたのも、両親だった。
両親を通じて、更に何処かと、目を閉じ耳を澄ますせば、絹の糸を紡ぐかのようにして呼び覚まされる感覚。
嗚呼、懐かしい。
自分探しの旅のうち、感覚的な心の記憶を思い出す道程は、終わりかけているのだろうか。
いつでも、男性は道・理を教えてくれ、女性は慈・愛を教えてくれるものだ。
2010/7/23